三浦哲郎の「一尾の鮎」を読む ( 小説 )

一尾(いちび)の鮎(1990年(H2)11.30発行、講談社)。6冊目の随筆集。

50篇からなる。

「カタツムリ」、「受付のMさん」、「一尾の鮎」が良い。

 

Ⅰ

樹のこころ 家の白木蓮は植えて25年経つが、家の改築に伴い、古い家と運命を共にして夜ふけに自らそっと倒れた。

猫柳 私の早春の花は猫柳で、母の思い出と結びついている。生前、仏壇に生花を欠かさず季節の花を活け手向けていた。

木橋のある道 木の橋が好きで馬淵川上流から2番目と3番目の橋の間に姉が暮す家がある。片側の川原に伝い銭湯に通った。

いつもの春 次女は1月2日生まれなので、誕生日のケーキも年を越しても大丈夫なアップルパイ。1月3日は結婚記念日で贈物をしてやれないのでいつの日か必ずと誓って目録を書く。

鬼の骨 鬼の骨(正月お供え餅を寒風に晒して、表面に深い亀裂が入り、チャボの卵大に割って陰干ししたもの)を齧(かじ)ったら奥歯が欠けた。

ワダイレバンテン ワダイレバンテン(綿入れ半纏)は冬の寒さしのぎの衣類の一つだ。おふくろが毎年作ってくれた。形見の一つとして最後のワダイレバンテンを買った。

茶碗酒 帰郷の折に昔勤めていた中学校を訪ねると小学校になっていて、35年ぶりに宿直室を覗く。炉端で親しんだ茶碗酒。

車椅子のマフィア 郷里を引き揚げる前に突然吐血して、ホテルに着いても車椅子に乗り、部屋で血塊が際限もなく落ちる。年少のボーイはまるで車椅子のマフィアのボスが真正面から機関銃の乱射を浴びたみたいでしたという。

乾きの刃(やいば) ホテルで目醒めた朝、右目に激痛、真赤な眼球、乾燥度の強い部屋で、目を閉じないで薄く開けたまま眠ると傷ができる、乾きの刃の仕業という。出された種類の目薬で2,3日で消えた。

嗅ぎ煙草 胃潰瘍で吐血してタバコをやめて1年と4ヵ月になる。友人から勧められた嗅ぎ煙草を眠気ざましに用いている。

膝の上の鐘 ある文学賞の授賞式で受け取った賞品の置時計からウエストミンスター寺院の鐘のメロディーの音が響く。

Ⅱ(プロムナードH2.1.8〜6.25日経新聞 1,200文字)

挨拶 去年の春、嫁にいった長女は時々やってきて挨拶がこんにちはといわずただいまという。

バンダナ 学生のころからの嗄れ声は禁煙してから顕著で、炎症を起こした気管支が片方の声帯を覆う恰好になっているせいとわかる。西部劇の男のように首にバンダナを巻くと喉の具合がいいと司馬遼太郎さんに教わる。

バクーの草 日本文芸家協会からソ連作家同盟の招きで訪ソしたとき、義務としてのモスクワとレニングラード訪問以外に、アゼルバイジャン共和国のバクーを道連れの尾崎秀樹氏が希望した。ホテルのレストランでウォトカの肴で出てきた微な辛味がある、青白くて細い茎に緑の葉っぱをつけた草の束。

葉巻 開高健追悼号に「開高健の手」というのを書いた。葉巻を挟んだ左手と眼鏡を右手でいじっている写真。

冬の十和田湖 十和田湖畔までいき小説に描いた状況が間違っていなかったかを確めて、満足して引き揚げる。

ペンだこ 三女の卒論でできたペンだこ(胼胝)が話題になり、私のは魚の目型のペンだこだ。

姿なきアイドル ユタとふしぎな仲間たちの座敷ワラシがテーマの劇団のミュージカルが好評で、姿なきアイドルになっているらしい。

鯉とカルガモ 石神井川の改修工事で、残った土地に家を建て直した。都会の人はカルガモが好きだが、私は稲にとって最大の害鳥で図々しいだけの憎らしい鳥と思っている。緋鯉の群は水が澄んでいると見える。

発熱 子供のころよく熱を出したが、一日寝ていなければならないとき、絵本や小説を一冊買って貰った。

彼岸ダンゴ 生前の母がしていたように妻が早起きして彼岸ダンゴをこしらえた。

寝酒 8時ごろに寝て夜中におきるので、6時から飲む酒は寝酒になる。

春の匂い カンショ(萱草[かんぞう])の若葉で一杯やった。次にヒロ(野蒜[のびる])。郷里の山歩きの得意な知人が送ってくれる。

石の犬 銀座でドーベルマンの置物に突き当りそうになった。我家にも置物のブルドッグの犬が7,8頭いる。

かみなり 甲州の湯村からの帰途。腹に応える雷鳴が轟きはじめた。雷はこわい。都会に住んでいる人々は、大自然や野性の底知れない力というものを、他人事のように軽く考えすぎているのでは。

初月給 三女の初めての給料でチョコレートケーキを贈ってくれた。私の初給料は何に使ったのか夫婦で意見が分かれたが薄い給料袋だった。

シベリアの白夜 シベリア目指して、白夜に気づいたのはモンゴルを縦断してソ連との国境に近づいたころ。イルクーツクでは、窓辺で外光だけで文庫本を読んだ。

郷里の河鹿 馬淵川の川魚は鰍という小魚、いい声で泣く河鹿は蛙。

北の顔 私は、ロンドンでモンゴル人と、吉行淳之介さんが旭富士と間違える。北方系の容貌に共通する特徴があるという。

米どころ 近頃、米のごはんがめっきり旨くなった。玄米で上等のコシヒカリをくれた。食べる分だけすこしずつ精米する。

初夏の雉子 帰郷した際、雌の雉子が産んだ卵を抱いて守っているのを見かける。

桐まくら 桐まくらが考案発売され送られてきた。

タツムリ 妻が道を横切ろうとするカタツムリを拾い上げ家の庭に放した。昔は昆虫好きの子供たちが喜んだが、今は興味がない。ちょっぴり寂しく、なんとかして孫たちが遊びにくるようになるまで生き延びなくてはと思った妻。

Ⅲ(旅関連)

旅の随筆について 講演やスピーチが苦手だが、その土地にいってみたいばっかりに引き受けることがあり、スイスのルガーノもそうだった。

水の都で イタリアのベニスで、夜、海がいささか溢れた。最高級レストランで本場のイタリア料理のあと、玄関前に海水が、広場もひたしている。

北京のサソリ 中国本土へ出かけると普段中華料理と思って食べているのが、ほとんど別種の料理とわかる。鱶鰭(ふかひれ)料理は中国では珍しい珍味となっている。広東で狸、蘭州で駱駝の蹄、北京ではサソリを食べた。

楊さんのエプロン 中国文連の副秘書長の楊さんが旅行中ずっと付き添って世話をしてくれ、帰国の朝エプロンをお土産にくれ、八ヶ岳の小屋で使っている。

風とイタドリ 「愛しい女」の登場人物の一人を北海道出身者か縁のある人間にと依頼され、留美を選んで余市にした。風が強く、丈高いイタドリが道を塞ぐように揺れ騒いでいた。

伊予紀行 (1)伊予の小京都にて 大洲の冬の風物詩に肱川の川霧がある。メンヒル(古代人が建てた柱状の自然石)を見る。(2)イクナ酷道をゆく 佐田岬半島の先端までいく。先に四国遍路の番外霊場十夜ヶ橋、金山出石寺に寄る。佐田岬先端へ酷道197号線が通じているが、イクナ酷道と敬遠されていたそうである。

(3)伊達十万石の町 龍華山等覚寺(伊達家菩提寺)を訪ねる。独眼龍政宗の長子は宇和島薄初代藩主伊達秀宗である。宇和島の闘牛場と和霊神社参詣。

Ⅳ

40.惜別 東京育ちの色川武大さんが東北の一関に転居し、隙間風が手裏剣のように心臓を貫いた。

41.開高健の手 開高健とは会うと必ず手を握り合った。彼は井伏老師を尊敬していて、私は同門の仲間と思いつづけた。

42.メグレの悲しみ ジョルジュ・シムノンが86才で亡くなり、最も悲しんだのはメグレと思う。

43.鎮魂の連絡船 青函連絡船の航路が廃止となるので、十和田丸で津軽海峡を渡った。津軽海峡は姉の墓だ。

44.幽霊 一昨年の夏に建てた家に幽霊が出るという妻。妻が20才のとき熱心に言い寄った大学教授(著名な国文学者)と思い当る。

Ⅴ

45.まぼろしの釣師 私が井伏先生に自戒していた2点、文学の師であるので家族的な交際を望まないことと、文学以外のことを教わらない。川釣を教わっておけばよかったと思う。

46.受付のMさん 出版社の受付をすんなり通れたためしがない。大学三年のとき、矢来町の出版社の受付の女性の笑顔に迎えられるとほっとした。Mさんと知ったのは矢来町の一室で献呈本に署名していたときだ。

47.助け舟―文芸雑誌と私 文芸雑誌は何度も溺れそうになったところを助けて貰った助け舟だった。新潮の菅原国隆さんの「忍ぶ川」、文学界の杉村友一さんの「海の道」、群像の大村彦次郎さんの「拳銃」以下の短篇。

48.自作再見―「白夜を旅する人々」 自分の書いたものの中で、いつ、どこで出会っても黙って手を振り合える作品は「白夜を旅する人々」以外はみつからない。生甲斐を痛感する毎日だった。

49.モーパッサンの「帰郷」―私の好きな短篇小説 「帰郷」は田舎ものの一篇だ。←「海村異聞」の前半の展開は「帰郷」そっくりだ。

50.一尾の鮎 ‘短篇小説を書くとき、一尾の鮎を念頭に置いている’と書く三浦哲郎が、座右の銘として揚げる若きモーツァルトの言葉‘充分に表現するためには、けっして表現しすぎないこと。しかもそれでいて完全に表現すること。ただしごくわずかの言葉で表現すること‘と通づるものだ。’短篇小説は書き出しの一行が見つかればしめたもの’も。